ゴールデンウィークにも関わらず羽田空港はそれほど混んでおらず。私たちが乗った飛行機も半分以上が空席でした。CAに尋ねたところ、「1週間前はもっと乗客がいた。新幹線の全線復旧で乗客がシフトしたのではないか」とのことでした。今後も臨時便で被災地に向けたルートは確保していくそうで、この飛行機も到着後すぐに整備し、羽田空港に戻るため、機内でイヤホン提供をしないなどの対応となっていました。
空港到着後はレンタカーで移動。レンタカー会社曰く、「新幹線が開通するまでは利用者が相当多かったが、今は落ち着いてきた」とのこと。
花巻〜遠野〜釜石〜大槌と移動しましたが、海岸線の被害は報道で見たとおりで改めて被害の深さに慄然とします。特に瓦礫が相当な量があり、この処理をどう進めていくかが復旧復興の大きな課題になると認識させられます。
私たちは大槌町吉里吉里地区に市の保健師を派遣しているため、吉里吉里地区に。
保健師はこの地区で避難所の方々の健康管理や薬の補給を行っているほか、避難所以外も訪問し、健康相談などを行っています。大槌町には保健師は2人しかいないそうで、非常に重要な役割を担っています。
公民館前
保健師から活動状況をヒアリングした後、旧吉里吉里中学校体育館に移動。以前は吉里吉里小学校などが避難所でしたが、小学校の再開に伴い、この体育館に先月末に移動してきたとのこと。
ここでは地元の方々による吉里吉里地区災害対策本部があり、非常に組織立った運営がなされています。メディア対応などにも積極的なため、色々なメディアで報道されています。皆さまも新聞やテレビで見聞きしたことが多いかと思います。
要望されていたトイレ用の足踏みペールをお渡しし、その後意見交換をさせて頂きました。
印象に残ったことを少しまとめると、
・吉里吉里地区は昔から津波の被害を受けてきた
・昭和8年の津波では家屋の43%が流出し、それを受けて盛土をした宅地を整備したが、そこも今回は多くが被害を受けた
・その宅地では死者が多く、足が不自由な高齢者が多かったことと、津波を受けて整備された宅地のため大丈夫だという思いから避難が遅れたのではないか
・対策本部は元消防団長を本部長に、この地区の自治会長、自主防災組織トップ、小学校長で災害発生後すぐに設置した
・すぐに重機を確保し、主要道路を復旧するための瓦礫撤去を開始した
・ガソリンなどの燃料確保が課題だったが、地区にあるガソリンスタンドの地下タンクを自分たちで開けて、ポンプなどを調達して給油可能とした。震災後数日で稼働したため、他の地区からも給油に来る状況だった
・次に地区にある大型バスのエンジンを入れ、電気を引いてきた。数日で電気まで使えたため、相当役に立った
・ヘリポートも校庭にマークを自分たちで引いて作ったが、すぐに米軍のヘリが着陸し、どの物資が必要か尋ねてきて二日後には物資をもって再度現れた
・Twitterによって全国に広く救援物資の依頼もして迅速に物資を集めることもできた
・この避難所は地域が運営している。大槌町の職員は殆ど来ない。余裕も無いのだろう。自分達で自主的に運営するしかない
・国〜県〜町のラインでは時間がかかる。非常時は町同士の横のつながりや上記のような個別のラインがばらばらに機能する方がいい
・物資はすぐに余るようになった。ただ、傘や爪切り、靴といった細かな日用品は不足しがち
・千葉市から派遣されている保健師の方々には大変感謝している
・今後は仮説住宅への入居と、それに伴い避難所の人数が減っていく中での運営が課題
行政に頼らずここまで自主的に運営がなされていることに驚きます。防災訓練などの参加率は低く決して備えが万全だったわけではないようですが日頃のコミュニティがしっかりしているからこそ非常時に機能するということだと思います。
避難所で自治会が立ち上がる、もしくはそもそも周辺自治会が避難所運営に関与することで、避難所が地域から孤立せず、また行政だけに頼らない運営が可能になります。これは他の場所でも多く聞かれた意見でした。
他にも物資について話が出ましたが、やはり物資は相当だぶついているようで今は明確にお金を必要とする時期に来ているようです。救援物資は被災して物資が不足する最初の1・2週間が特に重要と感じます。
千葉市から派遣している職員についても大いにお褒め頂き、これまでの職員の奮闘ぶりが現地の方々の信頼を勝ち取っていることを実感します。市を代表しての活動に心から敬意を表したいと思います。
是非千葉市での防災計画や防災訓練などへフィ-ドバックして実行していただくことを要望します。
4月28日〜5月4日まで,岩手県教育委員会や地元の図書館の方たち,子育て支援センターの方たちと協力して,NPOの仲間たちと,岩手県宮古市をスタートし,陸前前田経由で仙台市まで12カ所での絵本読みキャラバンツアーに行ってきました。
市長も感じられたと思いますが,
阪神・淡路とは質の異なる被害状況です。
救援物資はタブついていても,
昼食は老若男女問わずカップラーメンと果物という状況もまだあります。
県は仮設を立てる準備をしているけれども,
仮設を立てるための土地を準備するのは,体力の残っていない町や市。
そんな状況であることも耳にしました。
校庭のせまい避難所などでは,
中高生が身体を動かす場所もなく
イライラしている姿も見ました。
トルコ地震のとき、トルコの人たちは何を置いてもはじめに子どもが安心して遊べる場から復興させたと聞きます。
それは「子どもが元気でいれば、みんな元気でいられる」。との理由からだったそうです。
私たちが絵本を読んで,子どもたちが大笑い。その姿を見ているパパやママたちが少しでも笑顔を取り戻せたらと。
今後も継続的にツアーを計画しています。
今後も被災地のニーズは刻々と変わってくると思います。行政の枠の中で市長が得ることができる情報を活用し,時を逸することのない支援が継続されることを望みます。
市民は市民どうして継続的につながることができます。
大槌町では妊婦さんたちとのつながりもでき,4日にあるママから「生まれた」との連絡があり,一同喜びました。
復興の新しいモデルを作る時期に来ていると思います。
あるおばあちゃんと話していた時に。
「私はね,欲しいものと必要なものは違うってことが分かったよ。お兄さん分かる?ありがとね」と問われました。
理解することは出来ないけれども
共に歩くことはできる。
20年後に子どもたちが大人になった時,
強い絆が生まれていることを願います。
そのために今できることを考えたい。