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2012年02月06日

遠野市長とシンポジウムで対談

この日は朝から政策協議、午後から淑徳大学のシンポジウムに出席。
このシンポジウムは淑徳大学コミュニティ政策学部が主催したもので「震災とコミュニティを考える」をテーマに、本田敏秋・岩手県遠野市長の講演と、私との対談という内容です。

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遠野市は今回の震災で大きな被害を受けた釜石市・大船渡市などの沿岸都市の後背に位置し、震災後は後方支援拠点として大活躍をしました。
私も5月に東北被災地を訪問した際に遠野市にも寄り、「遠野まごころネット」という、行政・社会福祉協議会・民間が連携した支援組織の活動に大いに感銘を受けました。

2011年05月05日の日記「遠野市のボランティアセンターを訪問」

直接市長から話を聞くことができ、大いに参考になりました。

・遠野市はもともと後方支援拠点として一定の位置づけはあった
・長年県職員として勤務し、沿岸都市の津波の想定もある程度していた
・震災が発生し、遠野市役所も柱が崩れ、全壊となった
・市内の被害確認はもとより、沿岸地域の支援をしなければと考えた
・すぐに職員を現地に派遣し、どんな支援が必要か取りまとめ、避難所に食料を届けることに
・遠野市には90の行政区があり、その区長さんに集まってもらい、支援を要請した
・米をかき集め、おにぎりを作る人を募り、沿岸の避難所に持っていった
・ガソリン不足が深刻とのことで、遠野市からガソリンを沿岸に支援する際、本来ガソリンは携行缶で運ぶことが法令で定められているが、一刻も早く届けるためポリタンクで輸送した。何かあれば責任は自分で取るつもりだった
・市職員も多くはマイカー通勤だったが、ガソリンを少しでも被災地に回すため、相乗り通勤を推進し、マイカー通勤を抑えた
・買占めが起きると予想したのでこちらから市内店舗の物資を買い占め、被災地に送った
・遠野市は地域のつながりが深く、職員が店の人との信頼関係のもとで後払いで物資を持っていった
・こうしたことは都市部ではできないと思う
・私は地元のケーブルテレビに午前、午後、夜と頻繁に出演し、自ら災害情報や支援情報を伝えたが、議会の一部からは「市長が出過ぎだ」と言われた
・しかし、誰が責任を持って即座に最新の情報を伝えられるのか。市長しかいない
・他にもたくさん行政の限界があり、首長として決断したことがある。大きな問題が無かったので私は評価されているが、何かあれば自分が責任を取る覚悟で最善を尽くした
・上記のように市として支援活動をしてきたが、3月末頃になると被災地の要望が「爪切り、耳かきが欲しい」といった細かな内容に変わってきた
・行政ではこうした細かいニーズへの対応はできない。この辺りが限界と悟り、民間に全部任せることにした
・遠野まごころネットはまさにそうしたニーズに対応していった
・行政の限界の例としては、仮設住宅を建設する際に用地を確保する被災市が耕作放棄地に立てたいと言ったところ、県が「ここは農地だが、所有者は誰か。所有者の許可は得ているのか」といった確認事項に終始したことがある。土地台帳も流され、所有者が存命かも分からない中で、確認ができなければ建設できないというのは現場感覚からかけ離れている。まずは建設するべき
・他にも仮設住宅の建設が遅れた結果、仮設住宅に想定通り入居が進まず、一部空きがでた地域があった。私は「ではボランティアの方々の宿泊先にすべき」と提案したが、「目的外使用にあたるので国の許可を取るまではダメ」という県の対応があった。許可が出る前に宿泊させ、ダメだと言われれば謝ればいい
・震災で大事なことの一つは記録を残すこと。遠野市の取り組みが評価されているが、裏にはミスマッチもたくさんあった。そうしたものを今のうちに検証し、次に活かさなければならない
・最近、震災支援の活動報告が美談ばかりになっているのを危惧している。そんな綺麗なものばかりではなかった
・がれき処理がなかなか進んでいないが、がれきには家族の全てが含まれている。仏壇もあれば家族のアルバムもある。死体が出てきて警察等に引き渡すこともある。そう簡単に処理は進まない
・最近、津波に対して「津波てんでんこ」の話が取り上げられ、文科省も教科書に入れるという話を聞いているが、少し危惧している
・「津波てんでんこ」では周りの人のことを考えず、我先に逃げることを説いている。確かに、一度高台に避難したのに近所の高齢者などが心配で引き返し、犠牲になった人もたくさんいる。しかし、てんでんこがあまりに全面に出ることでこうした人と人のつながり、コミュニティを軽視する風潮になりはしまいか心配だ

私自身も震災で実感した行政の能力と限界、そして首長の決断の必要性など、その場に居たからこそ分かる思いを共有でき、大変参考になりました。
後方支援というのは大災害で基礎自治体機能が崩壊した際にも効果を発揮しますし、支援する側も一旦後方拠点に全リソースを集中すればよいので支援しやすいという利点があります。小さな行政体が多く、自らでは完結できない東北沿岸都市の知恵を感じます。

私たち政令市も災害発生時に被災地周辺に支援拠点を設け、そこに政令市の支援部隊を結集させ、現場のニーズに応じて臨機応変に部隊を派遣する構想を取りまとめています。
今後も防災体制の強化に努めていきたいと思います。

夜は東京に向かい、若手政治家の方々と意見交換。
苦しい選択肢から逃げない、決断できる政治家の必要性について多くの出席者と意見を共有しました。
posted by 熊谷俊人 at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 東日本大震災 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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