数え切れないほど多くの方が犠牲となり、その一人ひとりの失われた未来と、その人をかけがえなく思う人々の喪失感を考えると、失ったものの大きさに言葉もありません。犠牲になられた方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々に心からお見舞いを申し上げます。
復興には長い時間がかかります。全ての人々がそれぞれの立場で支援できることを長く続けることが被災地復興の一助になると思います。
そのためにはこの震災を風化させないことが何より大事です。あの時の気持ちを機会を捉えて思い起こすこと、振り返ることを2年後も5年後も10年後も50年後も続けることが大事です。
阪神大震災では10年後も、そして今でも神戸を中心に様々な場所で追悼行事があり、メディアも何らかの形で報道してくれています。
昨年はニュージーランドのクライストチャーチでの地震、台風12号などの水害など、日本が関係するだけでも多くの災害が発生しました。
災害を振り返る時に犠牲者を悼み、復興を支援することはもちろん、二度とこのような悲劇を繰り返さないためにも、災害を他人事を考えず、改めて自分の足元を見つめ直し、災害に強い街づくりを国民の連帯により実現しなければなりません。
私自身も行政を預かる立場として、一人の国民として、その責務を果たしていきたいと思います。
この日は早朝よりbayfmの番組に電話出演し、千葉市の復興状況や今後の災害対策について少しお話をしました。
司会者であるDJコウサクさんとは以前から「湾岸まるごとごみ拾い」などでお付き合いがあります。彼は震災発生後、東北の被災地に何十回も赴き、支援活動を展開しています。先日も「東北の市長たちに直接お話を伺って今必要な支援などについて聞きたいので紹介してもらえないか」という話を頂いたので、いくつか紹介をさせて頂きました。精力的な活動に敬意を表します。
その後、市で主催する「3.11を忘れない! 復興と防災」のシンポジウムに出席。
第1部が岩手県大槌町で自らも被災しながら被災者支援・地域住民交流に取り組んでいる、まごころ広場うすざわ館長の臼澤良一さんの講演。当日の状況についても非常に臨場感があり、切々とした語り口が逆に思いの深さを感じさせる、胸にぐっと来る内容でした。
・当日自分は自宅で作業をしていた
・今までに経験したことがない大きな揺れがあり、妻が大津波警報が発令されたことを受けて「津波が来るから避難した方がいいんじゃない」と言ったが、今まで津波は1~2m程度で自宅まで津波が来たことがなかったので「津波はここまで来ない。落ち着きなさい」と言って特に対応はしなかった
・息子たちが「お父さん、避難しよう!」と言ってきても「大丈夫だ」と言って対応しなかった
・息子たちが車で避難しようとした時も「歩いて避難しなさい」と言った
・その後、窓を見たら大きな濁流がやって来るのを見て、なぜ地震からこれだけ時間が経って津波が来ているのか、最初は反応ができなかった
・やがて家の前まで来たので、慌てて2階へ駆け上がり、愛犬を抱き上げたところで階段に一気に水が押し寄せてきた
・急いで2階から屋根に上がって見た光景は町全体を水が飲みこみ、おろちのように渦を巻いていた
・その渦に「助けてくれ」を叫ぶ人が呑み込まれ、至るところでガスボンベが破裂し、火災が発生したり、車のクラクションが鳴りっぱなしになっていたりと、まるで映画やドラマのようにフィクションに思えた
・そうこうしているうちに自宅もガスが破裂し火災が発生し、屋根伝いで別の家に飛び移った
・やがて第二波がやってきてその家にも水が押し寄せた。2階に物を積み上げ、天井近くまで登ったが、やがて水が喉のところまでやって来た
・他の人も同じ状況にあるんだと、死を覚悟したが、水はそこで止まった
・その後、屋根伝いで移っているうちに高台の方から消防士が脚立を持って助けてくれた
・この消防士は非番だったが、出動してくれた。彼が居なければ自分は生きていないかもしれない
・避難所に行ったが、あまりの寒さで震えた。毛布もなく新聞紙しかなかったが、新聞紙が温かく感じた
・隣に居た老夫婦が衝立の向こうに移されたのでどうしたのか聞いたら、今亡くなったとのことだった。30分前まで同じ空間に居た人がいなくなってしまった
・救援物資もありがたかったが、一番嬉しかったのは知己の人が声をかけてくれることだった
・この震災を経て価値観が変わった
・今まで他の地域の災害をテレビで見ていても他人事だった。いかに自分自身が何も準備をしていなかったか、痛感した
・生かされた命と考え、今自分にできることをしようと考えるようになった
・その後、仲間と被災者が集まる場を作り、話をしたり、支援物資を渡りしたりしていた
・3週間ほど過ぎた頃から避難所の人たちが「お世話になるばかりじゃ」と、手伝ってくれるようになった
・この活動を通してボランティアは黒子で、地域の人が自ら運営することが大事だと感じる
・また、伝統芸能は地域コミュニティの復興に必要なもの。郷土の歴史も知るきっかけになる
・一方、被災地の現状として離婚、自殺者が増えている
・科学技術は本当に人を幸せにしたのか、堤防は何の意味があったのか、防災への備えを人任せにしてきたのではないか、ということを感じる
・マニュアルや教科書だけではいざという時に動かない、やはり体験が必要
一部だけですが内容を紹介させて頂きました。
多くの人に聞いて頂きたい内容でしたので、後日、市のホームページにも動画を掲載する予定です。