以前、市民の方から「隣の家に蜂の巣があり、小さい子やお年寄りが多く心配です。何か補助していただけないのでしょうか」という質問を頂き、それに対して個人の財産における問題について補助をすることはできない、という回答をしたところ、多くの方が議論に参加し、「松戸市にはすぐやる課があるじゃないか」「普段、行政のムダを無くせと言うが、市民の際限のない要望がムダを生み出しているのかも」などなど大いに盛り上がりました。
それを見ていた朝日新聞の記者が税金と行政サービスの関係を考える題材として取り上げたものです。
さらに、最初の発言者に直接取材をし、後日談(既に蜂の巣は撤去されていた)も含めて紹介しています。
デジタル版でも一部読むことができますので、ご関心のある方はどうぞ。
⇒蜂の巣論争 負担はだれが〈カオスの深淵〉
公僕でしょう?
いやしくも市民投票で選ばれた一(いち)しもべではないですか。なにをエリートづらして、上から目線でものを言ってるんですか?
野田をはじめ千葉の官僚、役人たちは、
人を持ち上げることをしない、、、
エリート面をし過ぎる。
自分の給料をハタイテデモいいから、困っている一市民に手を差し伸べないの〜〜〜。
まったく今の若いもんはなっていない。
蜂の巣の記事を読んで、、、。感じました。
あれを読んでも、公がやるべきだと、感じるかたがいるんですね…
そりゃー、財政も良くならないわけだ。
自分たちで解決可能なことをしないで、ひたすら行政にお願いし続ける、そのような風潮が社会から無くならない限り、日本はいい方向に向かわない気がします。
嘆かわしい
「蜂の巣」の記事は、市税の使われ方が問題であって、市長が公僕かどうかは別の事です。論点をすり替えないで下さい。
我が家にも、以前蜂の巣が出来ていたのを気付かなかったのですが、隣人が教えてくれて自分で撤去しました。
最近は地域コミュニティが貧弱になりつつありますが、記事にあった地域は如何なんでしょうか?
梅雨前の排水溝掃除、夏前のボウフラ対策・水溜り箇所の消去など、以前は地域町内会で行っていました。そしてこの程度のことは隣人とだけで行っていたと思います。
「納税者ぶって」、何でもかんでも行政に求めるのは止めたいです。
私も近い将来納税出来なくなります。
「貧すれば鈍する」時間ばかり余って周りに目が行き不満ばかりつのる気がします。
貧しくとも品性と理性をを維持していくことは大変なことだと感じています。
前出の方が納税者ではないと言っているわけではありません。
私自身が貧して鈍する気がして不安なのです。
蜂の巣に関しては、発端の質問者さんは軽い気持ちでつぶやいたことでしょうし、蜂の発生状況が異常だったのか、質問者様があまり遭遇しない出来事だっただけなのかよくわかりませんが、役所は役に立つ所であって、便利屋さんではないですよね?
行政担当者が丁寧な物言いで断ると「上から目線」に感じてしまう人もいるのでしょうか。市長がはっきりと意見をのべられるのはリーダーとして至極当然だと思います。おじいさんリーダーなら受け入れられたりするんですか??
話は少しそれますが、放射能関連で、我が身のことしか考えていない年配の人達を見ると、過去の責任をとらず、一番の弱者と言われるこどもを守ろうとしない老人が行政相手に威張っている姿は、とてもとても恥ずかしくて、その場に立ち合ってしまうと「黙れ!!」と叫びたい気持ちを抑えるのが精一杯です。相手が誰であれ、人に物を頼む時はもっと謙虚に、要望する際は一度行政の立場になって考え、自分でできることは自分で頑張るべきです。日本人なら、感謝と責任を忘れるな!!
今の市で、このような対応をするところってないんでしょうね。作るのも時間が必要でしょうし。
実は、このような事にすぐ動いて欲しい部署を80%の市民が希望してたら、どうなんでしょうか?極端ですが、80%の市民が福祉なんて考えるなって言ったら?予算の付け方も変わるでしょう。そんな事を考えると、"昔は"とかは関係なく、市民の声をキチンと把握してもらって、費用対効果や順位付けして、市政の運営をしてくれれば良いのではないでしょうか?
松戸市にすぐやる課がありますが、市民の声であれば良いし、必要が無くなれば解散すれば良いのでしょう。
市政の自己満足に税金は使わない。使わせない。だと思います。