児童心理司・保育士と意見交換した後、仙台市役所へ。
危機管理監・副市長から災害対応状況や今回の震災を受けての教訓などについて伺いました。
副市長と
危機管理監と
・仙台市の被害は死者672名、行方不明者210名、住家被害は全壊が3,190棟
・被害額概要は推計で約6,400億円(うち市有施設3,500億円)
・固定電話や携帯だけでなく地区によっては内線までが使えず通信手段の不全が大きな問題となった
・防災無線は活用できたが24時間ほどで電池が切れ、電気が来ていないために充電できないという問題も。非常電源で充電するにしても全ては不可能だった
・備蓄は阪神大震災を教訓に一定量は備蓄していたが、災害協定を結んでいた生協や赤帽などが被害を受け、最初の1週間は物資不足が深刻だった
・その中で20大都市災害時相互応援協定(東京都+19政令市)の支援は大きかった。人的・物的に大きな手助けとなった
・最初の1週間は避難所の維持運営が大きな業務
・今後の備蓄については再検討が必要だが、備蓄物資の置き場の問題がある。民有施設における公的備蓄も検討すべきと考えている
・市民への広報という観点ではホームページのほか、対策会議をメディアに公開し、報道してもらうよう努めた
・仙台市には津波警報を伝える受信機を自治会長などに配っているものの、その他の災害情報を伝える広報無線が無い
・4/22から瓦礫の撤去を開始しているが、仮置きだけでも1年、全て完了するには3年はかかると覚悟している
・罹災証明の申請は4〜5万件ほどあり、多くの部隊を投入しているがまだ時間がかかる
・津波の被害を受けた地域には良質な水田がたくさんあり、そこが海水に浸かりダメになってしまった。3年はかかるのではと言われており、この復旧が大きな課題
・仙台市は市でガス事業を運営している特殊な市だが、船からガスを受け取り供給する港工場が被災してしまった。ただ、新潟方面からパイプラインで結ぶルートが別に存在していたため供給サイドでは何とかなった。常に複数ルートを持つことが全ての災害対応において重要と感じる
・燃料不足は深刻だった。非常用発電、車両や重機、避難所の暖房などあらゆる面で燃料が必要だった
・ガソリンスタンドは電気が無ければ給油ができず、手押しポンプは数が少ないこと、発火の危険性があり消防許可も必要なことから、依頼しても対応するスタンドはわずかだった
・そんな中、仙台市は交通局を持っていたため備蓄タンクを持っていたことが大きい
・他市から燃料支援を受けてもそれを給油する施設が必要。普段から提携する給油所を持つ必要がある
・通信手段を確保することはあらゆる対応の基本となる。教訓とすべき
・これだけの大災害を予測し、それへの備えをすることは現実的には困難。やはり防災ではなく減災の考え方が必要
・仙台市は早い段階から周辺市の物資支援なども行っており、県と地区割りのようなことをした
・仙台市は政令市であり普段は直接国とやり取りすることが多いが、災害時だけは全て県が窓口になり、時間がかかること、県の手間をかけることから、もどかしい思いが今もある
・仮設住宅などは本来は市である程度対応する必要があると特に感じる分野
・復興構想会議に政令市の市長である仙台市長が参加していない状況がある
ここには書ききれないほど多くの意見交換をしました。
災害対応で多忙な中、時間を割いて頂き感謝します。
千葉市でも今回教訓として通信手段の確保がありましたが、やはり被災地でも同様の教訓があるようです。また、20大都市の応援協定は本当に強力で政令市の強みとも言えます。
ここでも仮設住宅の建設など、県が災害の窓口になることで発生する課題が明らかとなり、この点については指定都市長会などで一致団結して国に対して提言をしていかなければなりません。
仙台市の被害状況をこの目で確認しましたが、瓦礫の撤去・処理も進み始めており、他市とは歴然とした違いを感じます。
既に復旧から日常を取り戻すフェーズに入っており、千葉市からも多くの観光客に来てもらいたいとのことでした。5月下旬にはキャンペーンも行うようですし、浦安市のイクスピアリで物産展を行う予定もあるとのこと。千葉市でも物産展なども含め、様々な支援を行っていきたいと思います。
海岸近くの田畑への被害は甚大でした
災害廃棄物を運搬する車両が相当数走っていました
瓦礫の撤去、家屋の解体を進める重機も数多く稼動
なお、避難所の子ども宛に千葉市から風太くんのぬいぐるみ200体をプレゼントしたことをご報告します。