今日で私が市長に当選して1年が経ちました。
このブログを見て下さっている方を始め、多くの市民の方々に支えられ、就任1年を迎えることができたことに改めて感謝申し上げます。また、いくつかの新聞にも市政改革が大きな衝突も無く進んでいることを評価して頂きました。インタビューでも申し上げましたが、これもひとえに職員の奮闘、そして市民と議会の理解があってこそです。
1年を振り返って「あっという間の1年」と言う気持ちもありますが、「まだ1年か」というほど濃密な時間を過ごしたような気がします。
自分でも覚えきれないほど多くの施策展開をしてきましたし、なにより多くの経験と多くの勉強をさせて頂きました。
戦後初の民間出身の市長、既存団体の多くが支援した副市長を破っての市長当選、最年少市長、色々な物議をかもしての当選だったため、職員を始め市政に関わる人たちや団体から複雑かつ不安な思いを寄せられた中での市長就任でした。
そんな状況下で私が一番重視したことは「選挙のしこりを残さずオール千葉市態勢を早期に作ること」です。勝利した側が一番先に考えなければならないことは負けた側に対する配慮です。
・変えるべきは政策であり、人や団体を排除することではない
・選挙は選挙であり、全力で選挙活動をすることは民主主義として当然のこと
・相手候補を応援した人、団体に決して報復をしない
・そのことを速やかに相手側に伝える
・伝えるだけではなく行動や実績で雄弁に示す
ということを意識して当選直後から動きました。
自分を応援しなかった団体の会合に優先的に出席し、そのことを伝えて回りました。私を支援して下さった団体は後回しになることもあり、その点は大変申し訳ないと思いながらの対応でした。
副市長以下、特別職の方々も辞表を提出しましたが、私は曲げて慰留をさせて頂きました。この特別職の留任によって市役所内の不安感もある程度払拭することができたと思いますので感謝をしています。
選挙の度に入れ替えが発生しては市政の継続が保てませんし、何より派閥ができてしまいます。私は市政の転換を進める側ですから、市政を継続する立場の人が居なければ危うい市政改革になりかねません。
ただ、この人事は当然批判もありました。「旧勢力・旧市政からの決別をしなければ何のために貴方を支援したのか分からない」「もっとドラスティックな改革を」という声を支援者から頂いたこともあります。
しかし、変えるべきは内容であって人ではありません。体制や人を変えると確かに変わった感が出て痛快かもしれませんが、そのことによって生まれるしこりやロスを考慮すると必要最低限に留めることが長い目で見るとプラスです。
橋下大阪府知事や河村名古屋市長は仮想敵を作り、その対決劇を舞台に人気を博していますが、必要な対決と無用の対決は切り分けなければいけません。
私はNTTという大組織の中で様々なトップ達の動きを見てきましたし、社内特別プロジェクトにも何度も関わってきました。
その経験から、大胆な改革は大胆に見えるが実は後に何も残らない改革の方が多いこと、一見業務改善レベルに見えるかもしれないが実はそれが一番効果があること、を踏まえて改革を進めることが何より大事だと感じます。
大型開発の見直し、予算方針の転換など、それだけでも非常に大きな変更です。特に予算方針の転換は千葉市の長年の様々なしがらみとの戦いでもあり、私の政治生命を賭けた戦いでもあります。
この変更を意味あるものにし、変更による負の影響を極力最小限化する細心の注意を払う必要があります。
こう書いてくると、見る人の立場によっては「甘い。もっと大胆な改革が千葉市には必要だ」と思う人、「まだ配慮が足りない。改革が急過ぎる」と思う人もいると思います。
大事なことは両方の意見に耳を傾けながらも一方に偏ることなく、ギリギリの改革を現実的な歩みで実行していくことにあります。
その中で1年間特に力を入れたことは市民の信頼を得ることです。
千葉市に限らず国や多くの自治体が行き詰っているのは政治家が有権者に批判を受けるような決断を避け続けてきたためでもあります。この千葉市の改革を進めるにあたって市民にとっては厳しい意思決定も時にはしていかなければなりません。その時に一番重要なことは決定者への信頼です。
私の持論として「支持率は50%台が一番望ましい」ということがあります。
過半数が支持しなければ思い切った施策は展開できません。しかし、支持率が70%などの高い数値を維持しているということは厳しい施策を実行していない、単なるポピュリズムで終わっている危険性があるということです。政治が未来の人たちのために存在している以上、現在の人たちから批判を受けることは当然あるわけです。
ですからトップに求められるのは「支持率を少しでも高めるために政策とは関係ない所も含めてあらゆる努力を行い、その支持率を背景に将来必要な厳しい決断を下す」ことにあると思います。
時には人気取りと批判されようと、改革を着実に実行していくためには持てる全てのエネルギーを注いで信頼を勝ち取っていく責任がトップにはあります。これはトップしかできない以上、トップの責務の最重要項目の一つです。
そして、それは市政に対する市民の関心を高める効果もあります。
いくら私が市政刷新を行ったとしても、それは市長という立場を使った改革であって長続きするものではありません。市民の市政への関心を高め、誰が市長であっても市政改革が持続的に行われる風土を作ることこそが重要だと私は思います。若くて珍しいという特性も手伝って、市民の市長や市政に対する距離感はある程度縮めることができたのではないでしょうか。
また、自分一人でできることには限界があります。街づくりは職員だけでなく市民全ての力が必要であることと同じように、市政も市長一人ではなく多くの人たちの関心と提言によって運営されるべきです。政治家はとかく自分を絶対視しがちですから、これは常に意識しなければならないと常に心がけています。
私はこの間、「市長が普段どんなことをしているのか」「市長やトップが普段どんなことを考えているのか」が伝わればとブログや市政だよりなどを活用してきました。
私は選挙の時に「市長選挙と言っても市長が普段どんな役割なのか市民は知らない。これではどんな人を選べばいいのかすら分からない。私が市長になれば市長の仕事が分かるようにします。その上で4年後改めて皆さんが最も市長に相応しいと思う人を選んで下さい」ということを訴えました。また、「選挙の時になって初めて市政の問題点を知ることが多い。これでは市政は良くならない。選挙が近づいてきたら自然と一人ひとりが争点を既に持っているくらい、普段から市政の課題をリアルタイムに伝えていきたい」ということも訴えました。
まだまだ道半ばですが、できることを一つずつ積み重ねていきたいと思います。
ここからは少し余談になりますが、この立場になってから批判には相当耐性がついた気がします。
私は市民と職員の架け橋として市役所に一人特別な立場で存在しています。職員のボスとして職員のことを考えながらも職員と同化してはいけません。市民の代表として市役所を監督しながらも市民の要望全てを受け入れてはいけません、時には厳しいことも市民に伝えなければなりません。
両方の味方であり、両方の敵にも時にはならなければならない、この中途半端な立ち位置を常にキープし続けることが重要です。
あと、心がけていることは取り巻きを作らないことです。
たまに「熊谷市長のブレーンは誰ですか?」と聞かれることがありますが、私の政策決定に特別大きな影響を与える人物はいません。もちろん、職員・議員・有識者、多くの人たちから影響を受けていることは事実ですし、人一倍多くの意見を聞くようにはしていますが、腹心と言われるような人間を作らないようにしていますし、ブレーンと言われるような人間も作らないようにしています。そういうものが対外的に見えてしまうと組織にとって良い影響はあまりありません。
腹心やブレーンを作るのはトップにとっては政策判断の重責を軽減できるのでメリットはありますが、それは甘えでもあります。
なんだかまとまりもなく、結論は何なんだという文章になってしまいましたが、大胆かつ繊細に市政改革を進めるべく、こんなことを意識しながら1年を過ごしてきました。
もちろん、私のやってきたことが全て正しいと言う気はありませんし、失敗したなと思うこともありますし、やりきれていないこともまだまだあるでしょう。驕らず、初心を忘れず、残りの3年間でしっかりとした成果を挙げるべく、これからも頑張っていきたいと思います。